「恐怖」をコントロールする |
それがここへ来て…スランプ突入だ。岩でまったく体が動かなくなってしまった。
スランプなのか…これを“トラウマ”というべきなのか。今まで出せていた一手が出せなくなり、体は萎縮してガチガチ。悲しい限りだ…。
原因ははっきりしている。骨折後の復帰戦(北海道の岩場)での出来事がきっかけだ。
骨折前から札幌行きの飛行機を予約していて、北海道に足が間に合うようにと準備していた。ギリギリ登れるくらいには間に合った…という感じで北海道入り。3日間の行程だった。
2日間は楽しく登り、3日目にそれは起きた。
6P程度のマルチで、自分のリード中、1ピン目を取る前に、持ったガバが剥がれて落ちたのだ。
ゼロピンで止まったのだが、テラスになったビレイ点で、自分はビレイヤーより下に落ちていった。
こういう落ち方は本当にいかん。しかも、自分は普通の状態じゃなかった、骨折治癒中ではないか。やっちゃいけないことを、やっちゃいけないタイミングでやらかす…最悪だ。
幸い、折れた右足はまったくどこにもぶつけず、左半身に打撲だけで、その場はアドレナリンが出てることもあり、トップアウトするまで登りきることができた。でも、もしこの時折れている右足をぶつけていたら…。どうなったことだろう。それを考えると心底ゾッとする。
ビレイヤーにロープバーンを負わせたこと、再々骨折してもおかしくなかったこと…猛省である。
・骨折明けで勘が鈍っていた
・フリーと本ちゃんの中間のような岩場で、岩のもろさの把握に油断があった
・骨折明けで自分がリーダー的立場となるクライミングはすべきではなかった(自分の足への気遣いが先立ち、他メンバーに気を配るだけの余裕に欠ける)
…と、反省点色々なのだが…
この事件をきっかけに、スランプに陥ったわけである。
「岩が怖い」
また怪我をするかも、また人に怪我を負わせるかも、そんな不安と恐怖が体を萎縮させる。
以前OSした5.10bでテンションし、以前OSした5.10aで足を滑らせてフォールし……どうしたのだ自分は、と思う。情けない、と思う。
そんなこんなで色々悩んでいたら、こんなコラムを見つけた。
-「恐怖」をコントロールするということ- 藤堂 安人氏
ページ1 ページ2 ページ3 ページ4
------ 引用 ------
筆者に限らず、長年山登りをしている方は皆、多かれ少なかれそうした事故やヒヤリとした経験をしてきており、そこから沸き起こる恐怖心と戦い、折り合いをつけながら登っているようだ。事故を何度繰り返しても、その都度そこで生まれる恐怖心やトラウマを克服できた人間の中から、未踏の超難関ルートに挑み続ける山野井泰史氏のようなクライマーが誕生するということなのだろう。
~中略~
さらに思ったのは、恐怖感があるほど、それを克服したときの達成感は大きくなるのではないか、ということだ。逆に言うとその達成感が大きいことが、恐怖感に立ち向かうという原動力になっているのだろう。スビンダル選手の「あまりよくないことでも、成長するチャンスだと思う」と言う言葉はそれを示唆しているように思った。
-----引用おわり
なるほど。
自分にこの「恐怖」をコントロールすることができるだろうか??
でも、どうにかあがくしかない。これを脱するのは自分の力しかないのだから。